学校概要
2024年4月11日更新
沿革
明治5(1872)年2月 | 本校の前身の官立女学校(文部省直轄の女子のための英語学校、のちに東京女学校と改称)開設す。立地より「竹橋女学校」「竹平女学校」と通称される。 |
明治10(1877)年 | 東京女学校閉鎖。東京女子師範学校に英学科が置かれ、在学生を受け入れる。 |
明治15(1882)年7月 | 東京女子師範学校附属高等女学校となる。 |
明治19(1886)年6月 | 東京高等女学校として独立す。 |
明治20(1887)年10月 | 官制の改定により文部省直轄学校となる。 |
明治23(1890)年3月 | 女子高等師範学校附属高等女学校となる。校舎を本郷区湯島3丁目の女子高等師範学校内に移転す。立地より「お茶の水の女学校」「お茶の水」と通称される。 |
明治41(1908)年4月 | 東京女子高等師範学校附属高等女学校と改称す。 |
大正12(1923)年9月 | 関東大震災にて校舎焼失す。 |
昭和10(1935)年3月 | 現校舎竣工、お茶の水より移転す。 |
昭和13(1938)年12月 | 西武新宿線久米川駅東南(現最寄駅西武拝島線萩山駅北西)の地に1,500m²の勤労作業場郊外園を開設す。 |
昭和23(1948)年4月 | 新制附属高等学校(女子のみ)となる。 |
昭和27(1952)年4月 | お茶の水女子大学文教育学部附属高等学校となる。 |
昭和55(1980)年4月 | お茶の水女子大学附属高等学校となる。 |
昭和57(1982)年11月 | 創立100周年記念式典を行う。 |
平成4(1992)年12月 | 創立110周年記念式典を行う。 |
平成14(2002)年11月 | 創立120周年記念式典を行う。(PDF形式 6,122キロバイト) |
平成16(2004)年4月 | 国立大学法人お茶の水女子大学附属高等学校となる。 |
平成24(2012)年11月 | 創立130周年記念式典を行う。(PDF形式 6,419キロバイト) |
平成26(2014)年4月 | スーパーグローバルハイスクールの指定を受ける。(2019年3月まで) |
平成31(2019)年4月 | スーパーサイエンスハイスクールの指定を受ける。(2024年3月まで) |
令和元(2019)年10月 | 校舎改修完了。 |
令和4(2022)年11月 | 創立140周年。 |
令和6(2024)年4月 | スーパーサイエンスハイスクール第II期の指定を受ける。(2029年3月まで) |
校歌と校章
みがかずば たまもかがみも なにかせん
まなびのみちも かくこそありけれ
本校は明治5(1872)年開設の「官立女学校(のちに東京女学校と改称)」を前身とし、明治15(1882)年に東京女子師範学校附属高等女学校となり、明治23(1890)年に女子高等師範学校の附属高等女学校へと発展した。
校歌は明治8(1875)年に皇后(昭憲皇太后)より東京女子師範学校にいただいた御歌(みうた)「みがかずば」に、式部寮雅楽課の伶人東儀季煕がつけた譜を原曲としている。この日本で最も古い校歌は明治29(1896)年に西洋風の旋律に改められ、大学・附属校園共通の校歌として歌い継がれている。
校章は明治39(1906)年6月より、袴紐のうえに締める博多織のベルトのバックルに、徽章として着用された。形は先の御歌により、八稜鏡(はちりょうきょう)をなしている。図柄は菊の花に蘭の花と葉をあしらったもので、「秀蘭芳菊君子を思う」という古語に基づき、その高潔な美しさが立派な人に似ていることを表している。
制服
生徒概況
学級および生徒数(下記在籍数は令和6年4月現在。定員は学年120名)
第1学年 3学級 122名
第2学年 3学級 118名
第3学年 3学級 123名 計363名
- 生徒は女子のみである。
- 生徒は附属中学校からの入学者と、他の中学校からの入学者とによって構成される。
教職員概況
校長 浅田徹
副校長 溝口恵
主幹教諭 植田敦子
教諭 22名、養護教諭 1名、非常勤講師 18名、ALT 1名、T.T 19名、事務職員 2名、図書司書(非常勤) 1名、用務員(非常勤) 1名、学校医、学校歯科医、学校薬剤師、スクールカウンセラー 1名(非常勤)、スクールソーシャルワーカー 1名(非常勤)
校務分掌は、総務部、教務部、指導部、研究部、進路部より成る。
事務室
開室時間 平日(月曜日から金曜日) 9時から17時
電話番号 03-5978-5855